良質の杉材の供給
四季のある日本では木を伐採するにも、伐採時期というものがあります。 通常、木が水を吸い上げなくなる秋以降が、その季節にあたります。 春から夏の間は、木が栄養分を吸い上げて水分を多く含んでいるため虫やカビがつきやすく、乾燥すると水分のある春材(年輪と年輪の間)の部分が極端にやせて来るので伐採には向かない時期なのです。 また、「ずぶ生」の状態で製品として建築材料に使用すると、数ヶ月で接合部のゆみ、収縮、反りなどの弊害をもたらします。 良質の材木を生産するには、秋切り、冬切りの原木を製材し、時間をかけて自然乾燥させるのが一番です。 このよして生産した材木は、加工したとき人工乾燥材より、艶があり、きれいな製品に仕上がります。 また、粘りが出て構造材としても十分使える材料になるのです。 美人林の名付け親
今の美人林の風景 今こそ観光のため整備されていますが、 40年前にはショートボデーの2トントラックがやっと通れるくらいの道で、原木 を積んで 走ると重みでひっくり返るような道でした。 私が木材業の道に入って初めて、仕事をさせてもらった松之山町の松口と 言う部落 の一番奥にあります。 人間で言うと、このブナも45年も経つと当時の少女の美人から中年期の本当 の美人に 成長したように思います。 話は変わりますが、この美人林 という言葉を初めて口に出し、名付け親とも 言える人物、 実は当、竹島屋材木店の先代である 小林亥作 なのです。 現役であれば、今年99歳ですが73歳で他界しました。 69歳になる私も当時は、18 19の若造でした。 先代や若いしょ(従業員)に連れられ桐の木を肩でかつぎ出したり、冬は杉 の原木を 機械ソリという大きな組み立て式のソリで運びだしたり、ソリの通り 道の地主さんに 酒を持ってお願いに行ったり、当時の事が思い浮かびます。 そんなある冬の日、先代と二人で立木の買い付けに松口へ出かけました。 当時、冬は雪で部落の中は車も走れず、歩いて買い付けをしていましたが、 その日の予定が終わらず、木の買い子(部落で原木を売りたい人を紹介 してくれる人) の家に泊まらせていただくことになりました。 この家が、松口の一番奥で美人林のすぐそばの家で 保坂(屋号 保屋) さんです。 この保屋さんの先代の大爺さんと、当竹島屋の先代との話の中で 出たのが このブナの木が小さいながらみんな、すらっとしてまっすぐに伸びて いる、その姿を見て 人間のスマートな女性を連想して、 美人木だらけの林、 美人林 といったのだと思います。 50年も前のことですが、ここを通るたびに先代が 美人林 と言っていたのを 思いだします。 |